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ブラス・クーバスの死後の回想

マシャード・ジ・アシス 著(武田千香 訳)
光文社古典新訳文庫

 この作品を日本語で読めるとは、何とも幸せなことです。魔術的リアリズムのラテンアメリカ文学ブームとはかけ離れた、しかも日本ではほとんど学ばれることのなかったポルトガル語で書かれた作品。本作にめぐり会えた読者には幸運が訪れるに違いない――草葉の陰から主人公はこうほくそ笑んでいることでしょう。ブラス・クーバスという一風変わった男が死んでから作家になり、生前を回想するという奇抜な筋立て、しかも彼が不道徳で邪悪な振る舞いや下心も珍妙な哲学で肯定してしまうのは、公序良俗に反するとも言えるかもしれません。しかし1880年代に書かれた作品ながら、主人公の鋭い毒舌まじりの人間観察と自己省察は現代にも通じます。著者は1839年に帝都リオデジャネイロの下町で生れました。父親は解放奴隷の両親の元に生れた塗装職人、母親は大西洋上のアソーレス(アゾレス)諸島出身の貧しいポルトガル人移民の娘。奴隷制社会の自由黒人であるがゆえに、印刷所の仕事帰りに奴隷と間違われて捕らえられることに怯えながら、家路を急ぐ青春を送ったのでした。

(鈴木茂)