世界の長編小説に挑む!

人生と運命(全3巻)

グロスマン 著(齋藤紘一 訳)
みすず書房

 第二次世界大戦で最大の激戦地スターリングラードを舞台に、物理学者ヴィクトル・シュトルムの一家が辿った運命を描く歴史大河小説で、作者は、ウクライナ出身のユダヤ人作家ワシーリー・グロスマン。小説では、戦争によって翻弄される人々の愛と希望、そして絶望が具さに描きだされています。負傷した息子を探しに行った先で悲劇に遭遇する女性、砲弾の嵐の中、ひたすら恋人の迎えを待ちわびる妊娠した女性、悲劇はまさに人間の数だけあるのです。テーマは、独裁政治のもとに生きる人間の意味とは何か。物語では、人間の善意、悪意、自己犠牲、エゴイズムなど、ありとあらゆる感情が明らかにされます。作者のグロスマンは、ソ連軍の従軍記者としてトレブリンカの収容所に取材した経験をもち、スターリン主義とナチズムという、二つの全体主義の恐怖を具に目撃した作家でした。天下分け目の戦いとなったスターリングラードの戦いは、1942年に赤軍の大勝利によって終わりますが、希望は訪れません。ナチスドイツが目指したユダヤ人虐殺の野望は、徐々にスターリンの野心に乗り移っていくからです。戦後の暮らしに望みを託した人々は裏切られ、核科学者である主人公のヴィクトルもまた全体主義の歯車に飲み込まれていきます。しかし、いかなる運命を辿るにせよ、現実に生きる人間の精神と魂の動きを止めることはできません。20世紀版『戦争と平和』は、そこに人類の救いを見いだすのです。

(亀山郁夫)