世界の長編小説に挑む!

蜘蛛女のキス

マヌエル・プイグ 著(野谷文昭 訳)
集英社文庫

 話し手が不明の語りから始まるこの小説の読者は、性別も年齢もわからないまましばらく聞こえる声に耳を傾けることになります。やがて話し手が、同じ監房の中にいる相手のために自分の好きな映画のストーリーを話して聞かせていることがわかってきます。夜になると明かりを消される空間は二人の人物のための映画館に変わるのです。

 二人が同居するこの特殊な状況は、相手の男性が、労働者のストライキを扇動したために逮捕された政治犯であり、その組織のアジトを知るために、未成年の若者と性行為を行った罪で収監されていた中年の<男性>を当局が送り込んだことによって生じたのでした。

 他のラテンアメリカ作家たちの小説とは大きく性格が異なる作品で、第三者の語り手は存在せず、ほぼすべてが会話と改変された映画のストーリーや手紙、報告書、注などによって表現されます。そして映画の改変には、女性的な名で呼ばれるモリーナの心理が色濃く反映しています。ここが読みどころです。

 マッチョな読者は古い読み方をするかもしれませんが、ジェンダー論が深まった今日、モリーナがトランスジェンダーであることを理解できる繊細な感受性を備えた読者には、彼の喜びや悲哀がひしひしと伝わるに違いありません。

(野谷文昭)